スティットとパウエル、凡人と天才の共演

スティット、パウエル&J.J.+3

スティット、パウエル&J.J.+3

久しぶりに今朝聴いたけど、どうにも乗れないCDだ。
ソニー・スティットのテナーは、デリカシー無く、音の圧力も単調でちっとも心地良く響かない、メロディーも凡々としていて退屈だ。それに引き換え、バド・パウエルの演奏の気品と躍動感はものスゴイ。
早くテナーのソロが終わって、ピアノにならないかなあと全曲思い続けて聴いてしまう。

一般的なジャズ解説では、バップ時代にチャーリー・パーカーそっくりだと言われて、もう一つ評価されないアルト吹きのソニー・スティットは、それではパーカーとの違いを現わしたいがために、テナー・サックスに持ち替えて、演奏することにしたらしい。
なんだか、その発想事体が、最初から負けですって言っているみたいで二流っぽい。勝負の仕方が弱気で面白くないけど、その作戦における、最初の吹き込みがこれなのだそうだ。
共演者で勝とうという、これまたせこい発想なのか、ピアノに当時、驚異の演奏家であるバド・パウエルを迎えて録音に臨んだ。
この当時バド・パウエルは、いわゆる全盛時代といわれていて、ピアノトリオを中心に、素晴らしい演奏を記録している
気分屋のパウエル氏に、どうしてもベストの演奏をしてもらいたかったらしく、
「おお〜偉大なるミスター・パウエル、素晴らしいですネ〜」を連発して、ノセまくったらしい。
それでこの類い稀なる躍動するパウエルの記録が生まれた。
しかし、ちょっとソニー・スティットにノセられ過ぎなのか、いつものようなナイーブさや真剣さが、やや感じられなく、“わはははは”状態の演奏になってしまったと思う。
私は、バド・パウエルが大好きだし、これは彼の貴重な名演なのだが、やっぱりどうにも乗れないセッションなのだ。
ソニー・スティットも嫌いなわけではない。次元を同じくするミュージシャンとならば、素晴らしいアルバムも沢山残している。
さらに、この発狂しそうなバカっぽいイラストのジャケットも、どうにも乗れない一因なのだ。